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 '06/06/01 備前焼について(5)

藤原雄
 藤原雄は、後に人間国宝になる藤原啓先生の長男として、1932年に備前市穂浪に生まれました。父の師事で備前焼の世界に入り、国内外の個展や講演など幅広い活動の中で数多くの賞を受賞しました。雄は備前焼の伝統の世界に国際性を持ち込んだ人でもあります。そういう国際的な感覚を持った人だったために、多くの外国人の弟子を育てたのも雄先生です。そのような先生ですが、右目が0.03、左目はまったく見えないということは意外に知られていないのです。雄が備前焼を始めるきっかけは、陶芸の美学の師である小山富士夫でした。雑誌記者をやっていた雄を備前焼の世界へ導いてくれたのです。また陶芸の哲学の師には父の友人でもある北大路露伴人がいます。また川喜田半泥子、藤本能動、田村耕一、裏千家家元の千宗室匠など各界の人々と親交を暖めたそうです。雄先生は豪放で存在感のある作品を制作し、特に壷には生涯魅力を感じ続けたもののひとつだったのです。

昭和7年藤原啓の長男として岡山県和気郡伊里村穂浪(現在の備前市)で生まれる
昭和30年明治大学を卒業して、一旦は出版社に卒業するが、やがて父に師事し、備前焼の世界に入る
昭和36年・・日本工芸会正会員
昭和38年・・スペインのバルセロナの国際陶芸展でグランプリ受賞
昭和42年・・日本陶磁協会賞
昭和48年・・金重陶陽賞
昭和55年・・岡山県重要無形文化財保持者
昭和59年・・山陽新聞文化賞
昭和60年・・岡山県文化賞、紺綬褒章
昭和61年・・中国文化賞
昭和63年・・勧告国立現代美術館で日本人初の個展を開く
平成02年・・芸術選奨文部大臣賞
平成08年・・国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に任命される



 '06/05/16 備前焼について(4)

現在、備前焼で人間国宝(重要無形文化財保持者)になられた人は5人もいます。(2)(3)で簡単に書かせていただいた金重陶陽先生、そして藤原啓先生、次になられたのが山本陶秀先生です。その後、藤原啓先生の長男藤原雄先生。平成16年に人間国宝になった唯一ご健在で在ります伊勢崎淳先生の5人です。今回は山本陶秀先生について簡単に見て行きましょう。

山本陶秀
 備前焼ろくろ技術の第一人者です。茶陶作家としての地位を不動のものとし、作品は優れたろくろ技術によって裏付けられた優雅、端正で気品があります。釉薬を使わないで、長時間焼成する事で、窯変(ようへん)という自然の模様が魅力です。この釉薬(うわぐすり)を使わない焼き締めの特徴が最も良く現れた土の美質を表現した作家だったようです。

明治39年4月24日生まれる
備前市の窯元に15歳で入り、30代の時に京都で修行を積む
昭和13年・・日本芸術院会員故楠部弥弌に師事する
昭和29年・・岡山県重要無形文化財保持者
昭和45年・・日本工芸理事
昭和62年・・同参与、同年国の重要無形文化財保持者に指定される
昭和47年・・岡山県文化賞
昭和50年・・山陽新聞文化賞、三木記念賞
昭和51年・・紫綬褒章、備前市功労賞、中国文化賞
昭和52年・・毎日芸術賞
昭和56年・・紺綬褒章
昭和57年・・勳四等瑞褒章



 '06/05/08 備前焼について(3)

備前焼について、1.2と見てきました。まだまだ岡山(備前焼)には有名な作家が多く、また芸術性の高いすばらしい備前焼が数多くあります。前回は岡山県が誇る備前焼の第一人者の金重陶陽先生を簡単に見てきました。今回は、備前焼の世界で人間国宝に2番目になられた、藤原啓先生について簡単ではありますが、みていきましょう。

1899年 岡山県備前市で生まれる。
1939年 (昭和14年)春に正宗白鳥の弟の備前市穂浪在住の国文学者の正宗敦夫氏の勧めで備前焼の道に進む。そして、三村梅景氏にろくろ成形などの手ほどきを受ける。藤原啓40歳の時である。
1941年 三歳年上であり、もうすでに備前焼作家としての評価があった金重陶陽先生(後の人間国宝)との親交が彼の備前焼技術を進展させ、時とともに互いを師弟というよりも、土を愛し、酒を愛する人生の友として現代備前焼の名声を盛り上げる。
1954年 備前焼二人目の国指定重要文化財(人間国宝)保持者となる。
1958年 日本工芸会理事。
1977年 岡山県備前市に藤原啓記念館を設立する。

後に人間国宝となった二人の作風は対照的でありました。桃山町の陶陽に対して(陶陽 の作陶はきびしく精悍、作意に富んだものに対し)啓は鎌倉、室町期の古備前(啓の作 陶は素直でおおらかな表情、作意のない明解な創作にある)を好んだそうです。作風は 彼の人柄を反映して、おおらかで温かみがあり、「啓備前」といわれていました。晩年に は、亀の置物を好んで作り皿に亀を這わせた作品が多く作られました。



 '06/04/15 備前焼について(2)

今回は備前焼初めての、国指定重要無形文化財指定に認定された「備前焼中興の祖」と呼ばれる金重陶陽先生について、簡単にお話したいと思います。

金重陶陽先生は、1896年備前市伊部生まれであります。金重家の分家、細工物師金重楳陽先生の長男として生まれました。そして、父に師事し、大正末期手作りの宝瓶で一躍名を高めたのです。大正期から昭和初期にかけて、桃山備前を研究し、昭和五年にその土味を出すことに成功してからろくろ師に転じ、茶陶に専念するのです。
金重先生には一つのエピソードがあります。それは、「米より土が大事」と、土をかんで自分の用いる土を吟味し、吐き出すようなまずいものは良くなく、いい土なら飲み込んでしまうということです。このように金重先生はだいたい10年間ぐらい貯蔵した土だけを使っていたそうです。
そして、昭和のはじめ頃から、川喜田半泥子、荒川豊蔵、三輪休和と交友を深め、戦後さらに北大路魯山人、石黒宗磨、加藤唐九郎、加藤土師萌、小山富士夫、宮本憲吉、河井寛次郎、浜田庄司、バーナード・リーチらと交友、芸域を広めていったのです。
 昭和二十九年に岡山重要無形文化財、三十一年に国指定重要無形文化財、三十四年に中国文化賞、三十五年に山陽新聞文化賞、岡山文化賞、四十一年に紫綬褒章、四十二年に勲四等旭日小綬賞など数々の受賞があります。1967年に昭和天皇、皇后両陛下が備前をご訪問された際、御前制作を行ったのです。
 このように岡山県が誇る備前焼の第一人者です。私も一度先生の作品を目にした事がありますが、とにかくすばらしい作品に驚かされたのを思い出します。



 '06/03/31 備前焼について(1)

以前「備前焼の効果について」で簡単にお話いたしました。今回は岡山が誇る伝統のある焼き物「備前焼」ですので、もう一度あらためて勉強してみたくなったため取り上げてみます。

 さて、備前焼の歴史は古く、古墳時代より須恵器の生産を営んでいた陶工(とうこう)たちが平安時代から鎌倉時代初期にかけて、より実用的で耐久性を持つ甕(かめ)瓦、椀(わん)皿、鉢などの日用雑器の生産を始めたのがこの時代だといわれています。しかし、この時代のものは、今と比べて備前焼というよりもむしろ須恵器に近いものだったのです。 

 その頃から現代まで変わらない点が、うわぐすりをかけないで、焼かれる焼き物であることです。良質の陶土をじっくり焼き締める。このごく自然な、土を炎との出会いによって偶然に生み出される素朴な色。手作りを感じさせる飾り気のなさ。そういう焼き物なのです。

 この焼き物、備前焼は多くの人によって個性的、芸術的に生産されるようになってきました。その備前焼の作者の中で第一人者となるのが金重陶陽(備前焼初めての人間国宝)です。岡山が誇れる金重陶陽先生について次回お話したいと思います。



 '06/03/17 地金(じがね)について(3)

(3)銀・・・
銀は金や銅などについで発見された金属です。昔から色調の美しさや加工のしやすい性質をかわれジュエリーや食器などの製品に多く使われてきました。今でもジュエリーはもちろん銀製品のスプーンやフォークなど食器にも使われていますが、けっこう高価な物になります。
 この銀製品の裏などを見ますと、「STARLING SILVER」とか「SILVER」とか「925」など刻印されていると思います。これは、金やプラチナなどと一緒で純度を表しています。「STARLING SILVER」と「925」は92.5%のシルバーと7.5%の割金(銅)になります。また「SILVER」は95%になります。だいたい「925」が製品としては多く、シルバー製品として有名なティファニーやグッチ、ブルガリなども「925」を使用しています。「925」の良いところは鋳造のときに流しやすく、硬さを保ちやすい点です。また、金やプラチナなどに比べたら比重が少なく、値段も安いことなどが挙げられます。「950」は適度な柔らかさがあるため、手作りの場合に多く使われます。
 よくシルバー製品は、時間とともに黒く変色します。これはシルバーが硫化物に対して弱く、空気中に含まれる各種のガスによって化学変化が起こるからです。シルバー製品を使っていないのに、長年しまいこんでいて、ある時見たら変色していた。というのも、上記のような化学変化を長年にわたり少しずつ起こしてきたからです。また温泉に行って、シルバー製品を身に付けたままにしていたら、真っ黒になった経験はないでしょうか。これも温泉成分の硫化水素などが銀と反応をして、硫化銀が表面にできてしまったため、変色したのです。この反応を防ぐための手段として、銀製品には一般的にロジウムメッキを施こされます。しかし、使用しているうちにメッキもはげてきて、表面が黒く変色(上記にも書きました化学変化)してきます。
 ここで少し金属アレルギーについてお話しておきましょう。パナジウムや金、銀、プラチナなどでアレルギーになる敏感な人がいます。特に金とかプラチナ製品は大丈夫だけど、銀はちょっとという方が結構いるのではないかと思います。これらの金属は普通、水に溶けるようなことはありません。しかし、汗や体液などによって、ごく微量に溶ける場合があります。汗や体液によって溶けた金属が皮膚などのたんぱく質に作用し、本来のたんぱく質と違った形になってしまいます。そうすると、体がこのたんぱく質を拒絶してしまい、金属アレルギーの症状であるかぶれになったり、炎症を起こしたりするのです。特に銀の場合は、前述のように、空気中で化学変化を起こす事があるため、この症状が起こり易いのではないかと思われます。こうなってしまった場合は、一度炎症が治ったとしても、同じ金属が触れたりすると再び炎症を起こしたりします。このため特にピアスホールなどは、穴を開けたら清潔にしないといけないのです。このようなことに気をつけながらピアスや指輪、ネックレスなどを楽しんでもらいたいです。



 '06/02/28 地金(じがね)について(2)

(2)プラチナ・・・
プラチナの希少価値は、金をはるかに凌いでいます。世界のプラチナの年間供給量は約185トンで、金の年間供給量が4000トンです。また今までのプラチナの総生産量は、推定約4165トンで、金の総生産量は147800トンです。ということは、なんと金の35分の1しか生産されていない事になります。この数字を見ても、いかに希少価値があるかというのがお分かりになると思います。
 採掘国を見てもらうと、供給量の約91パーセントが南アフリカと19パーセントがロシアで占められています。金は日本の北海道でも産出したように、世界中で産出するのに対し、プラチナは特定の地域に限られています。含有量も、原鉱石1トンから約3グラムしか採取できなく、非常に希少性の高い貴金属になります。
 近年、このプラチナは宝飾用以外にも約55パーセントが工業用として利用されるようになり、その分野も多種多様になってきました。科学の分野やパソコンなどのコンピューターに、また医学の分野でも使われるようになってまいりました。その他にも、最先端技術にも利用されるようになり、今後の重要な資源として需要も高まりつつあります。  またプラチナ製品には、プラチナ1000、プラチナ950、プラチナ900、プラチナ850などよく使われます。この表示から見てお分かりになると思いますが、プラチナ1000は純度100lで、他に金属を混ぜ合わせていません。プラチナ950は95lがプラチナで残り5lは硬さや加工しやすいように、他の金属を混ぜ合わしているという意味で、プラチナ900やプラチナ850も同様です。このように、硬さの問題で加工しやすいように、純度を下げるのです。そもそもプラチナは柔らかい素材なため、ジュエリーとして使われる貴金属の場合は純度を下げ硬くして使用するのです。プラチナがジュエリーの貴金属に適しているのは、変色しにくいということと薬品などにも強いということ、またジュエリーは身につけるものなので肌にも優しいということが重要な適正になってくるのです。



 '06/02/15 地金(じがね)について

 地金とは貴金属をジュエリーの材料として使うときにそう呼びます。この地金には、いろいろな金属を使いますが、大部分の場合は他の金属を混ぜて、合金として使用します。これは、ジュエリーに加工しやすい硬さにするためと、色を変えるためです。この混ぜた他の金属の事を割金(わりがね)といいます。この割金には、パラジウムや銅や銀などが使われます。

 ここ最近地金の相場が大変高くなってきています。いろいろな原因が考えうるとは思いますが、質屋にとっては大変喜ばしい事であります。この地金について、そして、貴金属地金の純度について、もう一度勉強してみようと思います。

(1)金・・・人類が金を手にしたのが、今から6000年ぐらい前といわれています。これまでに採掘された金の総重量が147,800tです。すごい量と思うかもしれませんが、オリンピック公式プールで約3杯分相当です。人類が今まで採掘してきた量だと思うと、少なく感じました。希少性を感じてきませんか。金は現在、年間約2,500t産出されます。世界の市場で、回収されて供給される金の量を合わせると年間約4,000tです。そう考えると貴重な、財産価値の高い貴金属です。
 また、需要は宝飾関係だけではないのです。というのは最近では、ビデオやコンピューターや携帯電話などの産業界でも重要な役割を果たしています。しかし、現在地球に埋蔵されている金の量は約76,000t程度といわれています。しかも、その大部分は採掘が困難な場所にあるとのこと。このため、世界中にある在庫を再利用し続けないといけないようになるのではないかと予想されます。近い将来そうなると、ますます重要な資源、財産に位置づけられるのではないでしょうか。



 '06/01/31 宝石の神秘 (5)

5)・・ その他の効果(2)
 宝石の神秘のテーマもついに最後の一回になりました。その他の効果の2回目という事で、3.シラー効果(Schiller)についてお話します。この効果は、フェルスパー(長石)に属するムーンストーン(月長石)にみられます。陰のある特有の青白い光の現象です。そして、半透明の乳白色の石の曲面に浮かび上がって見える光の効果の事をいいます。この光の特殊効果(シラー効果)は長石グループである正長石(オーソクレース)と曹長石(アルバイト)の薄い層が、交互に積み重なって、密な層状組織を形成するために生ずる光の干渉と、内部反射作用によるものと考えられています。層状組織の厚さに影響され、薄いものであれば青い色のシラーが生ずるが、層が厚いと輝きが白色になり、石としての魅力がなくなってしまいます。中には含有物による光の反射が原因となって、シラーが現れるものもあります。
 この効果の現れるムーンストーンは日本名を月長石または月石と呼ばれています。この石の名前の由来は、特有の乳白色の中に、帯青乳光(Milky seen)が輝くために青い月が連想され、名づけられたといわれているのです。
最後に4.ラブラドル効果についてお話します。この効果はラブラドライトという石の示す光の効果のことでラブラドレッセンス(Labradorescence)ともいいます。
 この石は、ムーンストーンと同じく、長石(フェルドスパー)グループに属する石です。その中でも分子配列構造の違いから大きく二つに分かれていまして、ムーンストーンは正長石グループに。そして、ラブラドライトは斜長石グループに属します。名前の由来は、18世紀後半、カナダのラブラドール半島にあるセント・ポール島で宣教師が海岸で光り輝く石を発見しました。この石を発見した場所にちなんでラブラドライトと名づけられたのです。
 ラブラドライトの特色は、なんといってもその美しい閃光です。石によって放つ色合いが異なりますが、ブルー、グリーン、ゴールド、オレンジ、レッドなど虹色効果を示すもので、ラブラドライトだけが示す効果です。発色の秘密は、この石の成分にあります。曹長石と灰長石が規則正しく縞模様をなすように混ざっていて、わずかに屈折率の違う部分がいくつも積み重なると、光の干渉現象が生じて、さまざまな遊色効果となって現れるのです。
 この二つの石3.4.にでてきた石は、どちらもモース硬度が6〜6.5です。そのため宝石の中でも結構硬度がない部類に入るため、一緒に貴金属や宝石と入れないようにしたほうがよいのです。また、他の物に当てたりしないよう、配慮してください。



 '06/01/15 宝石の神秘 (4)

4)・・ その他の効果(1)
 その他の効果第一弾として、1:遊色効果というのがあります。この効果はオパールなどで見られる七彩色の効果のことで、石をわずかに傾けると光のひらめきが見られるプレイ・オブ・カラーを和名で遊色効果といいます。この効果は、他の宝石に見られないオパール特有の光の効果のことであり、一般に良く知られている美しい特徴です。オパールは、非結晶質の鉱物で、主成分は含水珪酸です。珪酸にはニカワのような性質があり、これに水に溶解した石英が岩石の割れ目や空洞などに沈殿したことにより、オパールの特徴の遊色効果の石が生成されるのです。オパールの遊色の原因は非晶質珪酸のほかに、水分が含まれている事です。その水分によって内部に多数の微細なクラックが生じます。そのクラックの薄層によって光の干渉現象が生じ、きらめく七彩色の遊色効果が生じるのです。水分が関係しているため、オパールの指輪などの製品に関しては、保存方法が最も大切です。オパールで一番評価の高いとされている石は、七色の虹色のすべての色が一つの石に入っていて見える石で、その色が光り輝いている事が重要です。特に赤色が入っていると高い評価を受けるのです。この赤い色や青色などの入っている色の事を斑(フ)といいます。この斑には、たくさんの色があり、大変美しい効果でありますが、先ほど言いましたように、一番良い斑といわれているのが赤色で、赤の大きな斑が出ているオパール、特にブラックオパールは大変高価な物なのです。

 2:アベンチュリン効果というのがあります。この効果は、宝石中に、他の鉱物の細片結晶が内包されるために、光に当たってその結晶がキラキラ輝く効果に対して名づけられた効果のことです。この効果を示す最も代表的な宝石は、グリーン・アベンチュリン・クォーツです。石英質の(珪岩)中に雲母(緑色のクロム雲母)の細片結晶が無数に混入してこの効果を現します。この石はインドで主産し、ヒスイ類似の緑色石のために、俗に「インドヒスイ」ともいわれています。このため我々質屋はよくヒスイといわれている石をルーペや顕微鏡で見て、アベンチュリン効果があるかないかというのも、ヒスイであるかどうかを看破する一つの方法として覚えておかなければいけない効果の一つであります。



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